韓国ドラマ「百年の遺産-ククスがむすぶ愛-」第41話あらすじと感想

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「百年の遺産」第41話「セユンが私の息子と呼ばれるよ!」
(日本のタイトル「ソルジュの秘密」)

第41話のあらすじ

ソルジュは、小包が消えたことを知って狼狽する。

小包を持って家に帰ったチュニは、院長修道女の日記を読んで驚愕する。

カンジンとギオクは韓服をきれいに着飾って家に帰ってきてペンダルとクトスンと結婚したことを明らかにして家の中は修羅場になる。

チュニは、すべての事実を明らかにしようとセユンの会社に駆け付けるが、、、

カンジンはエンターテイメント会社から契約を勧められる。

エンターテイメント会社の社長とカンスクは昔付き合っていたらしい。

ソルジュはセユンと別れるようにチェウォンに告げる。

第41話の感想

ソルジュは人間としてあり得ない行いをしたとチュには言っていたし、多くの人がそういう評価をするでしょう。

しかし、子供を産んで育てることを一度は放棄しようとしたチュニを止めたのはソルジュだという話です。

堕胎をしたり、子育てを諦めることよりも、その子を生かして、誰よりも大事に育てるという選択は、ちょっと違う観点で見れば、実は尊いかも知れません。

院長修道女が、「泥棒」と評したように、誰の目にも気が狂ったとしか思えないソルジュの行いですが、他の大きな観点から見れば、「泥棒」という単純な汚名だけでは、評価しきれないのではないかと思いました。

その当時、ソルジュの心に悪魔が入ったのか?天使が助けたのか?これは一般的な視点だけでは、評価しきれないだろうと思います。

確かに、自分の産んだ子供が死んでしまったことにより、人の子供を自分の子供にするというのは、人間として、良心に反する行為であり、自己中心的な行動のように思います。

そして、法的にも人倫道徳的に罪に値するかも知れません。

誰しも、あの当時の状況下に立たされた場合、自分の子供が死んだことを悲しんで、それで終わりにするはずです。

しかし、ソルジュがそのようなことを思いついて、実行したことは、ある意味、誰も行わない行動を起こしたという意味で、奇跡的な出来事だったのではないでしょうか?

ソルジュの人並み外れた、人の命や愛に対する執念と言うか執着があったからだとも思えます。

ドラマから人間の心の奥深くの世界というものを考えることができます。

道徳の授業のテーマにしても良いかも知れません。

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